| 柿田川の自然環境・歴史 | ||
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| 三島溶岩流断面図 | ||
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今から8,500年前の富士山の爆発は、大量の溶岩を噴出しました。この溶岩は箱根山と愛鷹山にはさまれた、狭い谷間を流れ、三島市やこの柿田川上流部までやってきました。これが「三島溶岩流」と名づけられたものです。 三島溶岩流は、水を通しやすい多孔質の層で、その下古富士火山の表層は水を通さないため、富士山や御殿場地方に降った雨や雪は地下水となって流下し、三島市やこの柿田川で地表に「わき水」となって現れます。このわき水の規模の大きなのが柿田川でそのほか、三島市の菰池、小浜池、水泉園や清水町の丸池などがあります。 |
| 麗峰と織りなす悠久の自然 | ||
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■水の『わき間』がたくさん見られる柿田川上流
川の上流部には、無数の水の湧き出る『わき間』があります。柿田川公園の第1展望台に立つと、透き通ったきれいな水が緑の藻を左右に揺すりながら静かに流れているのが見えます。所々に灰黒色の砂地があって、川床から湧き出す水で砂が舞い踊っています。 |
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■清流と富士山……中流部
川の上流から500メートルほど下った、左岸から、富士山と柿田川の清流を望むことができます。このあたりは、川幅も広く流れもゆったりと流れています。 |
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■狩野川と合流する下流部
川の下流部に架かっている柿田橋からは、水しぶきを上げて流れている柿田川が見られます。 |
| わずか1,200メートル 自然がそのまま息する 柿田川の名水 |
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環境庁(現 環境省)では、昭和60年3月に専門家で構成された『名水100選検討会』を設けて、全国の都道府県から推薦された784件の候補の中から100件の名水を選びました。 100選の名水のなかでも、『柿田川湧水群』は、日本最後の清流といわれ豊かな自然を残している高知県の『四万十川』と並び代表的な名水と、太鼓判を押されました。 そのほかにも、『柿田川』は、名水・自然の数多くの認定を受けています。
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| 『21世紀に残したい日本の自然100選』 (朝日新聞社・(財)森林文化協会 昭和58年) 『名水100選』 『静岡県の自然100選』 『ふるさと生きものの里』 『静岡県のみずべ100選』 |
| 柿田川の水は、おいしさ100点満点。 | |||
| 厚生省(現 厚生労働省)は、昭和60年に『おいしい水研究会』を発足させ、全国各地の水を分析しました。その結果おいしい水の要件が発表されました。 | |||
| 水質項目 | おいしい水の要件 | 柿田川の水道水 | 摘 要 |
| 蒸発残留物 | 30〜200mg/g | 116.0mg/g | 主にミネラルの含有量を示し、量が多いと苦味、渋味等が増し、適度に含まれるとコクのあるまろやかな味がします。 |
| 硬 度 | 10〜100mg/g | 43.5mg/g | ミネラルの中で量的に多いカルシウム、マグネシウムの含有量を示し、硬度の低い水はくせがなく、高いと好き嫌いがでます。カルシウムに比べてマグネシウムの多い水は苦味を増します。 |
| 遊 離 炭 酸 | 3〜30mg/g | 3.5mg/g | 水にさわやかな味を与えますが、多いと刺激が強くなります。 |
| 過マンガン酸 カリウム消費量 |
3mg/g以下 | 0.5mg/g以下 | 有機物量を示し、多いと渋味をつけ、多量に含むと塩素の消費量に影響して水の味を損ないます。 |
| 臭 気 度 | 3以下 | 異常なし | 水源の状況により、さまざまな臭いがつくと不快な味がします。 |
| 残 留 塩 素 | 0.4mg/g以下 | 0.25mg/g以下 | 水にカルキ臭を与え、濃度が高いと水の味をまずくします |
| 水 温 | 最高20℃以下 | (平均)15.3℃ | 夏に水温が高くなると、あまりおいしくないと感じられます。冷やすことによりおいしく飲めます。 |
| (平成13年度 沼津市水道局 調査) |
| 家康が隠居所を…… | |
| 柿田川の周辺には、縄文、弥生の時代から人々が生活してきました。このことは、川の両岸より発見されている土器片などから知ることができます。きっと、柿田川に集まってくる魚をとって生活をしていたのでしょう。 戦国時代になると、柿田川に自然の堀を利用して、水源地(上流部東岸)に『泉頭城』が築かれました。今から400年位以前のことで、北条氏康が築いたものです。その後、この地域は、北条・武田・今川の三氏や北条と徳川の争乱の場となりました。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原北条征伐が始まると、北条氏はこの泉頭城を焼き払いました。 泉頭城が廃城になって25年後、徳川家康は自分の隠居所をこの城跡に建てようとしました。翌年、縄張りなどが行われましたが、まもなく家康が急病のため亡くなってしまい、この計画は取りやめとなりました。 家康の死がもう一、二年後であったとしたら、私たち郷土清水町の歴史もさぞ大きく変わっていたことでしょう。城下町として……百姓にとってそれが幸不幸かは別として。 柿田川の水が、工業用水、生活用水、農業用水として利用されるようになったのは、揚水技術の発達による明治以後のことです。 |
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| 35万人の人々の暮らしを育む。 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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■産業を支え実りを支え幾多の歴史を超えてきた。
私たちは、毎日水を使って生活しています。 |
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■新幹線・電車の洗浄
東海旅客鉄道(株)三島車両所で、1日走り終わった電車は点検後、柿田川工業用水の水を使って洗浄されています。 |
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